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八代におけるい業の歴史は古く、1505年、八代市千丁町太牟田にあった上土城主、岩崎主馬守忠久公(いわさきしゅめのかみただひさこう)が領内の古閑渕前にいぐさを栽培させ、特別の保護のもとに奨励したのが始まりといわれています。
太牟田表・八代表・肥後表と名前は変わり、幾多の困難をのりこえ地場産業として定着し、八代地方を中心に宇城・球磨地方でめざましい発展をとげ、今日では日本一の生産高を誇る「くまもと畳表」の生産地に成長しました。